お客様の声

美馬朱莉 先生

怖い物見たさでイタコの口寄せを試すと、その日を境に人生が急転!

●神奈川県海老名市 高梨真紗乃さん(27歳)

一昨年前に美馬朱莉先生の鑑定を受けてから、人生が大きく変わりました。何というか本当にもう、神様がくれた幸運としか言えない出来事でした。そもそもきっかけは1年前、仕入の仕事で都内へ出た帰り、知り合いが経営するパワーストーンショップに行った時にさかのぼります。そこで宜保鑑定事務所の存在を初めて知りました。教えてくれたのはお店の店長さんで、仕事柄、スピリチュアル関係の知識にはめちゃ長けているのですが、そんな彼女がイチオシの電話占いとして挙げたのがこちらだったのです。

「高梨さん、知ってる?本物のイタコの口寄せを体験できる電話占いがあるんだよ。この前、カレシと別れて落ち込んでた友達がそこに相談したらさぁ……」。それがなんと、わずか1週間後に復縁できたというのです。「相手の男の子の生き霊を呼び出して、会話させてもらったんだって。そうしたら3日くらいで当人から連絡が来て、その日のうちにヨリが戻ったって」。

にわかに信じられませんでした。じつは私も、霊感占いやスピリチュアルリーディングの類に凝っていた時期があり、いわゆる霊能者と言われる人たちにも何度か運勢を見てもらったことがあるのですが、言っていることがみんなバラバラで、しかも大して当たらないというマイナス印象しか残らなかったからです。ましてやイタコの口寄せなんて、何だか古臭くておどろおどろしいイメージしか湧かないと、眉に唾を付けて聞き流しました。

しかし、家に帰ってからもなぜかイタコの存在が頭から離れませんでした。本気で何かを相談するということではなく、あくまで怖い物見たさの好奇心でしたが、どうしてもそれを抑えられなくなったのです。しまいには電話して確かめようという気持ちになってきました。

宜保鑑定事務所という名称をネット検索すると、すぐにそこのHPがヒットしたので、店長さんの話に出てきた美馬先生を指名して鑑定を受けました。で、実際に言葉を交わしての第一印象は、どこにでもいるごく普通の人という感じで正直、ガッカリでした。しわがれた東北訛の声で、不気味な読経が流れるなんていうのを想像していたから……。しかし、そこにいきなり「転職を考えていらっしゃるのですか?それが今回のご相談でしょうか?」と問い掛けられ、一転、胸が高鳴りました。

この時点ではまだ私は、自分自身についての説明を何もしていなかったのです。それなのに当時、頭を占めていた悩み事を的確に指摘され、さらに「今、とても大きな転機が訪れているようですね。やり方さえ間違えなければ、ご自分で想像する以上に発展することができますよ」と私の今後の運勢についての、暗示的な言葉まで飛び出したのです。

(ウソッ!この人、正真正銘の霊能者だった!)美馬先生に対する印象が180度変わった瞬間でした。その後は最前までの冷やかしの態度をかなぐり捨てて、一心不乱に食いつきました。「転機って、具体的にはどういうことなのでしょうか?ぜひ、ぜひ、教えて欲しいです!」「女性向けのアンティークアクセサリーやお洒落な古着などのイメージが見えるのですが、そういう品を扱うお店にお勤めではないですか。そして、ゆくゆくは自分も同じような店を持ちたいと。その願いは近々、叶うはずです」先生に言われたことは、まさに私が学生時代から漠然と抱いていた夢そのものでした。「先ほどからあなたのお祖母様と思われる霊が、ぜひ話したいことがある、と言って降りてこられているのですが、どうなさいますか。これは今、私が申し上げたあなたの転機とも大きく関係しているような気がします」

そう言われ、ためらうことなく口寄せをお願いしました。5年前に亡くなった祖母の霊とはその後10分ほど話したのですが、私の幼少期の思い出や父母、親戚などの暮らし振りなどについての話題が出た後、「キヌタさんを訪ねてごらん。きっと良いことがあるから」といきなり言われました。(キヌタさんって誰?)と聞こうとしたところで突然、口寄せが終わり、その正体は不明なままでした。

そこで私は鑑定を終えてから、祖母が生前住んでいた父の実家と連絡を取りました。跡継ぎの伯父夫婦はその名前には心当たりがなかったものの、気になるなら直接調べに来たらどうだと言われて、その日の夕方に出向いてみたのです。祖母が寝起きしていた仏間に入れてもらい、タンスの引き出しを調べてみました。すると差出人に絹田という苗字が書かれた年賀状が見つかりました。

後日、葉書に書かれた住所の所在地を訪ねてみることにしました。そこは私がすむ町から、車で30分ほど走った先にある大きな屋敷でした。そこの門前近くに車を停めて外に出たとたん、「あらっ、も、もしかして、真紗乃ちゃん?」と声を掛けられました。見るとすぐ後ろに上品そうな老婦人が立っていました。この人が祖母に年賀状を送っていた絹田さんだったのです。本人からの説明で、祖母とは高校時代の親友同士だったことが分かりました。

そして昨年の秋、この絹田さんから資金援助を受けて、念願のアンティークショップを構えることができました。彼女は子供のいない1人暮らしの女性で、私が生まれた時、養子にもらえないかと頼んだことがあったそうです。父母の反対でその話は流れ、絹田さんは当時結婚していた旦那さんと渡米。日本に再び戻ったのは5年前で、祖母が病死する直前のことでした。27年間、私のことをずっと忘れていなかったらしく、実家の家族ぐるみで付き合い始めた現在では「第2のお祖母ちゃんだと思って、いつでも頼って欲しい」と言ってくれています。美馬先生が掘り起こしてくれた、この不思議な縁のつながりを、これからも大切に守っていきたいと思います。

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