宜保通信 -霊能の世界-

第2回 霊の擬態に関する3つの話
その1 コンビニに現れる釈迦如来

宜保詠歌ヒストリー 怨霊との闘い

今回から数回に分けて、霊の擬態に関する実例のエピソードをご紹介していきます。 霊障や祟りといった形で人間に危害を及ぼす悪霊邪霊は、自分の正体を偽装する──。心霊トラブルの解決に携わる専門家は皆、このことを常識として踏まえているはずなのに、それでもなお騙されてしまうことが多いそうです。それはいったい何故なのかを霊能者自身の立場から語っていただきました。

コンビニに現れる釈迦如来

はじめに
今回以降は少し趣向を変えます。当初は私自身の回想を兼ねて、過去に携わってきた心霊事件について漫然と書き連ねていくつもりでおりましたが、それだけではこうした場で発表する読み物として少し内容不足なのではないかと感じました。そこで今後は特定のテーマを掲げてそれに該当する具体例を取り上げ、全体を通読することで心霊現象に関する知識、理解を深めていただけるような体裁にしていこうと思います。

まずはその手始めとして、『悪霊の擬態(ぎたい)』という現象について、過去の具体例をいくつか取り上げていきます。それらは擬態、すなわち霊がそれ本来の姿ではなく、別の何者かに偽装して霊能者の前に現れ、そのために除霊や浄霊に際しての判断・処理を誤ってしまったという実例なのですが、いずれも当初は他の専門家が着手したものの問題解決に至らず、当方へお鉢が回ってきた事案です。

実際、こうした失敗談はこの業界ではよく聞く話で、かなりの年季を積んだ霊能者でさえもその陥穽に陥りがちです。私たちの仕事では、何よりもまず災厄をもたらす悪霊の正体やその起源や由来を正確に見極めることが大切なのですが、この初動プロセスで判断を誤るとその後の除霊も上手く運びません。

神道系の霊学ではそれを行なう者を審神者(さにわ)と呼んだりもいたしますが、一流の行者や霊能者はただ念の力が強いだけではなく、すべからく審神者の能力にも秀でているもので、逆にそこが脆弱な術者は真の意味でのプロとは言えません。「漠然と霊が見える」というだけでは素人の霊感体質者に過ぎず、また自分が見ている対象の真偽が判別できない者も同様というわけです。 「完璧なお祓いができる専門家は、審神者の能力に優れている」~これはいざという時に霊能者や行者を選ぶ際の重要な判断基準となります。

深夜のコンビニで頻発する霊現象

今から7年ほど前の話です。

当時、私の弟子筋で拝み屋兼占術家として独立したばかりの女性が北関東の某地に住んでおり、時折、連絡を取り合うような関係が続いていたのですが、そんな彼女がある日、いきなり「助けて欲しいことがある」と頼み込んできたのです。

「じつは地元の知り合いの縁で引き受けた仕事で、予想外のことが起きてしまって困っているんです。先生がご多忙であることは重々存じ上げているのですが、どうかそこを曲げてご助力を願えないかと・・・・・」と、やけに神妙な口調で話を切り出してきたのですが、具体的にはどういうことなのかと訊ねると、口ごもりながら以下のような話を始めました。

─開店したばかりのコンビニで連日連夜、不審な現象が起き続けている。

ひとつひとつを挙げればキリが無いが、例えばこの店では電子機器の故障が異常に多い。店内に設置された客用サービスのコピー機やオンライン端末、あるいは通常は壊れにくいはずのATM機やポスレジシステム、在庫管理用端末などが頻繁に不調を来たし、店舗担当者やエリアマネージャーも首を傾げるばかり。こうした突然の故障は何かしらの予兆と共に起きることが多く、誰もいないはずのバックヤードで人の声が聞こえたり、入店音とともに自動ドアが開いたのに誰も入ってこなかったり、といった不可解な現象が先行し、その直後にいきなり店内の機材が壊れてしまう。

また深夜時間帯の勤務中には、客足が絶えた店内にいるはずのない人の気配を感じることが多く、防犯カメラにも謎の人影が頻繁に映り込む。さらには真っ黒い影法師の形をした霊と思しき存在と直に出くわした店員が何人もいて、そのせいで夜勤アルバイトがなかなか居着かない─。

「・・・・・と、そんな話を聞かされて現場へ出向いてみたのですが、そこで予想もしなかった事態に遭遇してしまったんです」と、彼女は説明を続けました。

霊視を始めたとたん、中空に謎の目映い光が!

「当初はよくある話だと思いました。場所特有の因縁や特殊な磁場の働きで、浮遊霊や地縛霊の類いがそこに棲み着いてちょっとした悪さをしているのではないか、あるいは霊道の流れが絡んだ案件とか。いずれにしても、お清めや除霊といった通常の処置で済む話だろうと高を括っていたのですが、本当にとんでもないモノに出くわしてしまって・・・・・」

「具体的に何が見えたの?」
「それが、ちょっと申し上げにくいのですが・・・・・その・・・・・お釈迦様の姿が見えたんです」
「お釈迦様?!つまり、その店で霊現象を引き起こしていたのは神仏だったってこと?」
「はあ、そういうことになるのでしょうか。師匠のところで修行させていただいている間、霊の形態について色々と学びましたが、そういうモノとはちょっと勝手が違うので、どう処置すれば良いのか見当が付かなくて・・・・・」

彼女が店内で霊視を始めたところ、いきなり目の前に光の渦が出現し、それがみるみる視界を覆って、気がつくと仏堂のような建物の屋内に飛ばされていたそうです。そしてその奥の伽藍には文殊、普賢の両菩薩を脇侍(きょうじ)に置いた釈迦如来像が安置され、全身から五色の光のオーラが立ち上っていたと。

もちろんこれは霊知覚者の幻視に過ぎず、実際に異空間へ移動したということではないのですが、なまじ神々しいビジョンを垣間見てしまったために、「自分は知らずに神仏の禁忌に触れてしまったのではないか?」と強い不安を感じている様子でした。

じつは私はこの時点ですでにそれが人霊の擬態であることを見破っていたのですが、あえてそのことは言わずに彼女と会いました。弟子の教育の一環と申しますか、これを機会に術者として一皮剥けて欲しいという思いがあったためです。当日の待ち合わせ場所は問題のコンビニで、依頼者であるオーナーの許可を得て、師弟揃って再度の霊査に臨むこととなりました。

コンビニが建つ以前には民家、さらにその前は墓があった土地

その場で手渡されたのはコンビニが建つ土地に関する調査書で、そこには昭和40年代の中頃まで近隣に所在する寺院の敷地内であったことが記載されていました。

一種の飛び地と言いますか、以前は墓地の一部がそこの寺から少し離れた場所にあって、それがちょうどコンビニのある区画だったわけです。その後、寺院側が霊園を新たに増設して墓を移し、整地し直して宅地に変わり、さらにそこに建っていた中古家屋を購入した人物がそれを店舗に建て替えて営業を始めた、という少々煩雑な経緯でした。

「だから私、そんな土地の由来が騒霊現象の原因ではないかと考えました。つまり、墓を移す際の供養に何かしらの不備があって、それで祟りが起きているんじゃないかって。実際、今もおかしな不浄の気を感じますし」

彼女が言う通り、コンビニを中心とした一画は不自然なほど陰の気が強く、当人はそれを「かつて墓地があった名残り」と理解したものの、その眼前に立ち現れたのは神聖無垢な釈迦如来の姿。それで頭が混乱してしまったわけです。私は彼女の迷いを断つために、敢えてきつい言葉を投げかけました。

「霊視し直してもまだ分からないの?これは昔あった墓地のせいではなくて、その後に建てられた家の住人に起因している現象なのよ。このくらいのことも見抜けないのなら、お祓いの仕事なんか引き受けてはダメよ」

怪現象の元凶は、以前そこに建っていた家の住人の霊だった

現地で私個人が推察した概略を書きます。

  • コンビニの建つ地所を含めて付近一帯は元々、地相 (ちそう・土地が発する自然エネルギーの質) が良くない。
  • こうしたエネルギー値の低い土地は、静謐性を重視する墓地や公園として使用するのが望ましく、その意味で寺院の敷地であったことは理に適っていた。
  • 墓を移転する際の供養作法に問題や瑕疵があったとは考えにくい。実際に霊査してもそのような痕跡は感知できなかった。
  • 釈迦如来の幻像を生み出した本体は人霊で、それは未だに成仏しておらず、電子機器の故障や誤作動ももちろんこの霊体の仕業。

つまり、その場所が墓地から宅地に変わった後、新たに居着いた不成仏霊が一連の騒動の元凶であるという判断に至りました。
「それじゃ師匠、その成仏していない霊というのは一体、誰なんですか?」

彼女に問われ、私は即答しました。
「ここにコンビニが建つ前の家の住人でしょうね。生前は信仰心がかなり強くて、実際に釈迦如来の仏像を座敷に置いて拝んでいたみたい。あなたはその人が作り上げた想念の世界を追体験させられたというわけ」

霊が作り上げた虚偽の想念世界に霊能者が取り込まれてしまうことがある

今、流行りのVRテクノロジーに例えると、霊体の意識が創造した仮想現実の世界に術者の側が捕らわれてしまったということです。実際、お祓いが関わる案件での初動ミスの大半はこうした誤認識によって引き起こされるのですが、霊感にしても霊視にしても当事者の主観のみに依拠する心的な技術なので、そこでは物理的現実と仮想現実を混同しやすいというジレンマが常に付きまといます。それを打破するにはひたすら実地経験を積むしかなく、その努力をするかしないかがこの道の一流とそれ以外の分かれ目であると言っても過言ではありません。

また読者の皆さんは意外に感じられるかもしれませんが、たとえ生前の信仰が篤くても、死後にすんなりと成仏できないことがあります。とくにその信仰が過度な現世利益に立脚している場合にそうしたことが起こりがちで、例えば我執一辺倒で稲荷信仰を続けていた人間が、死後に狐霊と一体化して様々な霊障を引き起こしたり、最悪の場合はそれが原因で血筋が絶えたりすることもあるのです。正道から外れた信仰に頼るくらいなら、生涯を無信仰で過ごす方がはるかに無難です。

このケースも、まさにこれに類するものでした。当時の家の主は生前、仏教系の新宗教カルトのような教えに傾倒していたようで日夜、釈迦如来を拝む勤行を続けた挙げ句、家族の絆を初めとする一切の社会性を失って、最後は孤独死を遂げていたという事実が分かりました。そして死んだ後も自ら作り上げた幻想の宗教世界に住み続け、その平安を乱す者たちに言わば嫌がらせの行為を続けていたのです。

元が墓場であったことも、この人霊の意識に少なからぬ影響を与えていたようです。長年に渡って染み着いた鎮魂の波動が、「ここは私が安らかに眠る場所だ!それを妨げる者は許さない!」という誤った確信を抱かせるきっかけとなったのでしょう。

こうして霊の正体が判明した後は速やかに適切な浄化供養を行い、これを境に一連の心霊現象もピタリと止みました。なお私に助力を求めた女弟子の方はそれからしばらく自信喪失の状態が続いていたようですが、その後は一から修練をやり直して今では立派な術者に成長しています。

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